ヒト,マウスなど一般的な生化学の教科書に載っているような代謝系では,解糖 glycolysis によって生じたピルビン酸 pyruvate が,嫌気的条件下では乳酸脱水素酵素 (乳酸デヒドロゲナーゼ, lactate dehydrogenase, LDH) によって L-乳酸 L-lactate に変換される。
このページでは,とくに断りがない限りそのような乳酸代謝系について述べ,バクテリアの乳酸代謝については最後の項目にまとめる。
乳酸は,生化学的には以下のような重要な特徴をもつ。
乳酸の生合成経路として有名なものは,嫌気的条件下でのピルビン酸からの生合成がある。この反応には,以下の3つの意義がある(6D, 8)。
なお,TCA 回路はピルビン酸から作られるアセチル CoA を原料として,NAD+から酸化的リン酸化に使われる NADH などを作り出す代謝経路である。
> ピルビン酸からの生合成は上のように行われる。C=O が H をもらってCH-OHになるので,還元反応である。
> 反応は,乳酸デヒドロゲナーゼ lactate dehydrogenase によって触媒される。
> この反応では,最初に酵素と NADH が結合し,乳酸の後に最後に NAD+ が解離する(8)。
グルコースからの乳酸生成,いわゆる「嫌気的条件下での解糖」は,
Glucose + 2 Pi + 2 ADP -> 2 Lactate + 2 ATP + 2 H2O
として表すことができる。最終的にグルコース 1 分子から 2 分子の ATP を得ていることになる。
嫌気代謝が活発な組織で合成される。赤血球 erythrocyte はミトコンドリアを持たず,また運動中の筋肉は酸素不足に陥っているので,これらが乳酸生成の主要な器官である(8)。
> 主に骨格筋,赤血球,脳,腸管で生じるとする論文もある(4I)。
> 脳では,刺激によって神経が興奮した後に局所的に乳酸濃度が上がり,5秒後には元に戻る(12)。
乳酸はグルコース代謝の最終産物であり,さらに代謝されるためにはピルビン酸に戻されなければならない(8)。骨格筋,赤血球などの組織で合成された乳酸は,血液中に放出され,以下の2通りの経路で分解される。
心筋細胞に代表されるいくつかの細胞では,膜に乳酸およびピルビン酸を取り込むキャリアがある。取り込まれた乳酸はピルビン酸に変換され,アセチル CoA として TCA 回路に入る。
これは,それらの細胞が乳酸をエネルギー源として使っているということであり,血中のグルコースを節約して骨格筋に優先的に使わせるという意義もある。
肝臓に取り込まれ,ピルビン酸を経て糖新生 gluconeogenesis によりグルコースになる。この
グルコース -> ピルビン酸 -> 乳酸 -> 肝臓へ移動 -> 乳酸 -> ピルビン酸 -> グルコース
という一連の過程を乳酸回路 lactic acid cycle またはコリ回路 Cori cycle という(8)。
乳酸は,血中では一価の陰イオン CH3C(OH)COO- として存在する(4I)。血中乳酸濃度は,体内の酸化還元状態を反映しているとされ,循環不全や運動で高値を示す(4I)。主な発生源は,嫌気代謝に陥りやすい筋肉と,ミトコンドリアをもたない赤血球である。
乳酸は酸であるため,血中乳酸濃度が高くなると pH が酸性に傾くアシドーシス acidosis を引き起こす。
> アシドーシスは,例えば筋細胞内では過剰な H+ がタンパク質の Ca2+ 結合と競合して悪影響を示す(7I)。
: ただし,アシドーシスの影響は,血液の pH のみで決まるわけではない。
: 例えば乳酸よりも CO2 の方が細胞膜を通過しやすいので,細胞への影響は大きい。
> 一般に,心筋はアシドーシスによる機能不全を起こしやすい(7I)。
: カメの心筋は,アシドーシスや無酸素状態 anoxia への耐性が強いことが知られている。
> 腎不全患者などの透析外液を NMR で分析し,血中の代謝産物量を測定した研究例がある(9R)。
: 乳酸およびピルビン酸量は透析中に上昇する。合成が起こっていることを示唆する。
: ただし,乳酸/ピルビン酸比から考察するに,これは低酸素が原因ではない。補酵素の欠乏かも。
: 腎不全の原因(糖尿病性であるか否かなど)によって,代謝産物量と透析中の変化が異なる。
: 血中 Ala, Val 濃度は透析中ほぼ一定,クレアチニンは指数関数的に減少した。
乳酸は,受容体 GPR81 (HCA1) を介してシグナル分子としても働く(12)。
> 脂肪細胞では,cAMP と PKA 活性を低下させ,脂肪分解 lipolysis を阻害する方向に働く(12)。
> 活性化される遺伝子として,c-fos, c-jun, c-ets, Hyal-1, Hyal-2, CD44, caveolin-1 がある(12)。
> 乳酸は,HCA1 を介してToll-like receptor の活性化による肝臓,膵臓の炎症を抑制する(14R)。
: マウスのマクロファージに LPS で炎症を誘発すると,培地中の乳酸量が増える。
: 予め培地に 15 mM 乳酸を入れておくと,カスパーゼ1などの炎症マーカーの発現が抑制される。
: NF-κB Ser536 のリン酸化も抑制される。これは,TLR-4 による NF-κB 活性化の指標。
: HCA1 をノックダウンすると,乳酸による炎症抑制がみられなくなる。
: in vivo でも,乳酸は HCA1 依存的に肝臓と膵臓の LPS 依存的な炎症を抑制した。
: ノックダウンの効果など,HCA1 量と表現型に全く相関がないのが気にかかる。
乳酸は,血液脳関門を monocarboxylate transporter (MCT) の作用で通過することができ(1I),脳 brainには約 0.5 - 1.5 mmol/kg の濃度で存在する(2)。この濃度は MRS では通常見えない(3)が,低酸素状態に曝された動物の脳では顕著なピークとして観察される。
低血糖時に,脳の機能を維持する役割をもつが,これは乳酸がエネルギー源として利用されるためではない(11R)。乳酸は低血糖時にグルコースの代わりのエネルギー源となるが,それはエネルギー全体の約10%に過ぎない(1I)。それよりも,乳酸が受容体 GPR81 を通して作用することにより,グルコースが効率的に代謝されるようになることが重要と考えられている。
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> キンギョ,Crucian carp など一部の魚類は,乳酸からエタノール ethanol を作る(5R)。
: 乳酸による血液 pH の上昇(アシドーシス acidosis)が起こらないという利点がある。
: Crucian carp では,この反応は筋肉で起こる(10I)。
: このように,発酵に代謝を切り替えられる生物を通性嫌気性生物という。バクテリアが有名である。
> 乳酸は原核生物にとっても重要な代謝産物であり,以下のような特徴をもつ(13I)。
: 細胞壁の成分になる。抗生物質 vancomycin に耐性ができる。
: L-, D- の両方を代謝する能力をもつ。哺乳類では,D-乳酸はほとんど代謝されない。
: L-, D-乳酸の変換を触媒する lactate racemase が存在する。
: D-乳酸はペプチドグリカンの構成成分で,D-LDH による合成が不十分なときに racemase が働く。
乳酸菌 lactic acid bactaria (LAB) とは,代謝によって多量の乳酸を作る菌の総称で,特定の分類群を表す名称ではない。ヨーグルトなどの食品の発酵に使われるとともに,腸内細菌としてヒトの代謝の恒常性にも寄与している(参考: プロバイオティクス)。
乳酸菌のなかでも Lactobacillus sp. はもっとも効果的で安全な種として知られている(15)。